安達峰一郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 山形縣在籍 | |
職業 | 法學博士、帝國學士院會員、特命全權大使兼特命全權公使、佛蘭西國及ルクサンブルグ太公國駐箚 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年七月 (1869) | |
親名・続柄 | 安達久の長男 | |
家族 | 母 しう 嘉永二、三生 妻 鏡子 明三、一二生、山形、士、高澤佐德長女、女子高等師範學校出身、元皇后宮御用掛 男 太郞 明二九、一生、法學士 | |
記述部分(略伝) | 君は山形縣人安達久の長男にして明治二年七月を以て生れ同二十四年家督を相續す同二十五年帝國大學法科大學佛法科を卒業し外務省に入り試補となり又和佛法律學校及明治法律學校講師となる同二十六年公使館書記生として伊國に赴任し同年外交官補に任ぜられ爾來在巴里公使館三等書記官二等書記官巴里萬國博覽會事務官公使館一等書記官外務省勅任參事官捕獲審檢所評定官大使館參事官特命全權公使に歷任し露西亞墨西哥白耳義國等に轉勤す大正十年特命全權大使に陞り白耳義國駐箚仰付られ又特命全權公使としてルクサンブルグ國駐箚を兼ね昭和二年巴里に轉勤し國際聯盟に於ける帝國全權及媾和諸條約實施委員長を仰付らる明治四十年法學博士の學位を受け現に帝國學士院會員たり大正八年國際聯盟創立以來諸重要會議に常に帝國を代表し屢々議長たり尚白耳義國學士會員及ルーヴアン大學名譽教授に選ばる 長女功(明二六、一二生)は外務省通商局長武富敏彦に二女萬里(同三〇、一〇生、學習院女學部出身)は法學博士河津暹弟益雄に妹きみ(同一六、五生)は東京府人今井秀松に同じゆん(同一八、一一生)は同府人仲谷芳雄に嫁し弟隆治郞(同一一、九生)は同妻ヤマ(同二一、三生、福島、根本六三郞三女)と共に其三子を伴ひ分家せり | |
住所・電話番号 | 在佛蘭西國日本大使館内 | |
参照人物(親類) | 河津暹、武富敏彦 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | あだち みねいちろう | |
別名 |