保利眞直 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等、功四級 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 醫學博士、陸軍々醫監、侍醫寮御用掛 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年十一月 (1860) | |
親名・続柄 | 保利文溟の二男 | |
家族 | 妻 ヒサツチ 慶應三、九生、三重、士、岩村定高二女 男 清 明二二、一〇生、醫學博士、和泉橋病院レントゲン科部長 婦 きよ 明三四、四生、二男清妻、長野、矢島武妹 男 五郞 明三〇、三生、法學士、三井銀行員 婦 富美 明三八、七生、五男五郞妻、熊本小原達明長女 男 豐 明三一、九生、工學士、東京瓦斯會社員、洋行中 婦 勝子 明二八、六生、亡長男醫學博士定直妻、愛媛、士、伊奈信弌三女 | |
記述部分(略伝) | 保利家は代々醫を以て舊唐津藩主に仕へたる士分の家柄なり 君は佐賀縣士族保利文溟の二男にして萬延元年十一月を以て生れ明治十一年分家して一家を創立す同二十年帝國大學醫科大學を卒業し更に大學院に入り同年七月陸軍三等軍醫となる同二十六年獨逸に留學を命ぜられ翌二十七年墺國へ轉じ再び獨佛國に醫學を硏究し歸朝後陸軍々醫學校副官となり同三十二年醫學博士の稱號を享け同校教官に補せられしが同三十四年休職仰付らる日露の役起るや復職して東京第一衞戍病院長事務取扱東京豫備病院附となる戰後功により功四級金鵄勳章を賜ふ同四十年陸軍々醫學校教官となり尋いで同校々長に補し大正元年陸軍々醫監に陞任し近衞師團軍醫部長に轉補せられしが同二年侍命となり次で豫備役仰付らる現時侍醫寮御用掛を拜命し傍ら自宅に於て眼科を以て開業す謠曲と南畫を嗜み漢詩を能くす 家族は尚孫久惠(大七、三生、亡長男定直長女)同康直(同八、一一生、同長男)同恒一(同一三、七生、二男清長男)同顯(同一五、一二生、同二男)同敏子(同一五、八生、五男五郞長女)あり 三男富雄(明二三、一〇生、醫學士、額田病院副院長)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、氷川町三 電青山六二〇〇 | |
参照人物(親類) | ※岩佐珵藏 | |
参照次数 | 1 | |
読み | ほり まさなお | |
別名 |