保利眞直 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 佐賀縣平民 | |
職業 | 醫學博士、豫備陸軍軍醫監、保利眼科院 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年十一月十一日 (1860) | |
親名・続柄 | 保利文溟の二男 | |
家族 | 妻 ヒサヅチ 慶應三、九生、三重、士、岩村定高二女 男 定直 明二一、一一生 男 清 明二二、一〇生 男 富雄 明二三、一〇生 男 勇 明二六、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は長崎縣士族保利文溟の二男にして萬延元年十一月十一日を以て生れ明治十一年三月分れて一家を創立す同二十年二月東京帝國大學醫科大學を卒業して醫學士の稱號を得其四月大學院に入り同七月陸軍三等軍醫となる同二十六年一月獨逸へ留學し翌二十七年二月澳國へ轉學し翌二十八年五月再ひ獨逸へ歸り其十一月佛蘭西へ轉す後歸朝して陸軍々醫學校副官となり同三十二年醫學博士の學位を享け陸軍々醫學校教官に補せられしか同三十四年四月休職仰付らる日露の役起るや復職して東京第一衞戍病院長事務取扱東京豫備病院付となる戰後功に依り功四級金鵄勳章を賜ふ同四十年十一月陸軍々醫學校教官となり尋て同校校長に補し大正元年九月陸軍々醫監に陞任し近衞師團軍醫部長に轉補せられしか同二年七月休職となり次て豫備役仰付らる現時保利眼科院長として治療に從事せり 家族は尚五男五郞(明三〇、三生)六男豐(同三一、九生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂氷川町三 電話新橋一五〇五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | ほり まさなお | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]