服部宇之吉 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 文學博士、帝國學士院會員、東京帝國大學名譽教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年四月 (1867) | |
親名・続柄 | 服部藤八の三男 | |
家族 | 妻 繁子 明五、五生、東京、士、島田鈞一妹 男 纘 明三一、一一生、法學士、石川縣事務官、商工水産課長 婦 貴美子 明三六、六生、二男纘妻、熊本、澁谷唯雄妹 男 武 明四一、二生 女 順子 明四三、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊二本松藩士服部藤八の三男にして慶應三年四月を以て生れ先代喜平の養子となり明治十六年家督を相續す同二十三年帝國大學文科大學哲學科を卒業し第三高等中學校教授高等師範學校教授を經て同三十年文部大臣祕書官兼文部省參事官となり次で文部省視學官に任じ同三十二年東京帝國大學文科大學助教授となり漢學硏究の爲清國へ同じく教授法攻究の爲獨逸へ前後四ケ年留學を命ぜられ同三十五年歸朝して東京帝國大學文科大學教授となり文學博士の學位を受く同年清國北京大學堂師範館主任教授に聘せられ同四十二年歸朝して再び文科大學教授に任じ東京高等師範學校教授を兼ね次で大正五年米國ハーバート大學正教授に聘せられ同國に出張し更に同九年歐洲に出張を命ぜらる同十三年對支文化事業の用務を以て支那に出張し歸朝後東京帝國大學文學部長に任じ同十五年京城帝國大學總長を兼任し宮内省御用掛被仰付昭和三年官を辭し東京帝國大學名譽教授に擧げらる曩に帝國學士院會員被仰付 家族は尚孫周一(大一二、八生、二男續長男)あり 長女淑子(明二九、二生)は熊本縣士族馬場勝三二男法學士一衞に二女節子(同三四、六生)は岐阜縣人立田喜太郞弟清辰に嫁し三男佐(同三六、九生)は福島縣士族服部久の後を繼げり | |
住所・電話番号 | 東京市外戸塚町諏訪一八二 電牛込二三六〇 | |
参照人物(親類) | 島田鈞一、立田清辰 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | はっとり うのきち | |
別名 |