服部宇之吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 文學博士、東京帝國大學文科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年四月三十日 (1867) | |
親名・続柄 | 服部藤八の三男 | |
家族 | 妻 シゲ 明五、五生、東京、士、島田鈞一妹 男 纉 明三一、一一生 女 淑子 明二九、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊二本松藩士服部藤八の三男なり慶應三年四月三十日を以て生る明治二十年帝國大學文科大學哲學科に入り二十三年卒業後文學士となり文部省に出仕後第三高等學校教授に任し從七位に叙し尋て高等師範學校教授となり累進して從六位に陞る三十年文部大臣秘書官兼文部省參事官となり更に文部省視學官高等教育會議幹事を兼ぬ後高等師範學校教授に任し又東京帝國大學文科大學助教授を兼任し正六位に進む三十二年五月漢學研究の爲滿四年間清國留學を命せられ猶留學期限内教授法攻究の爲獨逸留學を命せらる三十四年勳六等に昇進し三十五年東京帝國大學文科大學教授となり文學博士の稱號を受け同年八月歸朝の處清國北京政府の招聘により北京大學師範科教授となり四十二年二月再ひ文科大學教授に任し現に其職に在り其著に論理學教科書中等論理學等あり 家族は前記の外二女節子(明三四、六生)三男佐(同三六、九生)四男武(同四一、二生)三女順子(同四三、七生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、澁谷町下澁谷一八二五 | |
参照人物(親類) | 島田鈞一 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | はっとり うのきち | |
別名 |