八田裕二郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正六位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 退役海軍大佐、元衆議院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永二年十一月 (1849) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 ため 慶應元、七生、東京、百瀨彌十郞五女 男 裕一 明四二、一一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は舊越前福井城主松平家の藩臣なり 君は八田亨の弟にして嘉永二年十一月を以て生れ明治二十六年分家して一家を創立す同二年海軍兵學校に入り同四年東鄕平八郞氏等と共に軍事硏究のため英國に派遣留る事十一年其間同國軍艦に乘り組み又グリニツチ海軍大學を卒業歸朝同二十年海軍大佐に昇進其間海軍の規定例則編纂に盡し東伏見宮依仁親王殿下英佛留學に附御補導役を承り英佛に留る事八年傍ら英佛國公使舘附武官等兼任後軍籍を退き推されて衆議院議員に當選する事二囘又同鄕育英會等に盡すこと年あり 長女あい(明一五、一二生、御茶の水高等女學校出身)は森村商事會社重役東京府人田中實に二女榮(同一七、八生、出身校同上)は同府人田中銀行取締役田中銀之助に三女とめ(同二七、六生、三輪田高等女學校出身)は同府人法學士土屋禎二に四女重子(同二九、八生、御茶の水高等女學校出身)は同府人深田銀行頭取深田米次郞長男法學士謙介に五女清子(同三二、四生、出身校同上)は同府人豐間根繁吉長男慶大學士繁直に六女德子(同三五、一生)は同府人野村兼吉長男慶應義塾大學教授兼太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、小日向水道町九四 電小石川二五六〇 | |
参照人物(親類) | 田中銀之助、田中實、深田米次郞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | はった ゆうじろう | |
別名 |