八田裕二郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正六位 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 衆議院議員、(福井市選出)、退役海軍大佐 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永二年十一月十七日 (1849) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 ため 慶應元、七生、東京、平、亡百瀨彌三郞五女 男 裕一 明四二、一一生 女 榮 明一七、八生 女 とめ 明二七、六生 女 重子 明二九、八生 女 清子 明三二、四生 | |
記述部分(略伝) | 君は福井縣士族八田亨の弟にして嘉永二年十一月十七日を以て生れ明治二十六年三月分家して一家を創立す海軍兵學校及英國グリニツチ海軍大學を卒業し海軍大尉より歷任して海軍大佐に至り東伏見宮付武官兼英國公使館及佛國公使館付武官に補せられたり現時福井市選出の代議士たり又育英事業及船舶事業に從事す 家族は前記の外六女德子(明三五、一生)あり 長女あい(同一五、一二生)は東京府士族田中保雄叔父實に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、富士見町六ノ八 電話番町三四五〇 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | はった ゆうじろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]