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新渡戸稻造 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳二等
爵位・身分・家柄岩手縣士族
職業農學博士、法學博士、貴族院議員、帝國學士院會員
性別男性
生年月日文久二年九月 (1862)
親名・続柄
家族妻 萬里 文久二、八生、米國人、ジヨーセフエルキントン長女
養子 孝夫 明二五、五生、養子こと夫、青森士、河野孝忠二男、米國ハーバート大學出身、ジヤパンタイムス社員
養子 こと 明二三、一一生、養子孝夫妻、東京、士、稻田秀實姉
記述部分(略伝)君は舊盛岡藩の出にして文久二年九月を以て生れ叔父太田時敏の養子となり明治二十二年實家兄七郞の家督を相續す先是同十四年札幌農學校を卒業し開拓使に出仕す更に東京帝國大學に學び同十七年米國に航しジヨンスホプキンス大學を卒へて直に獨逸に留學を命ぜられボン、ハレ、ベルリン等の大學に遊び農政農學經濟等を專攻し在留五年にして歸朝し札幌農學校教授に任じ北海道廳技師を兼ね同三十二年農學博士の學位を受く次で臺灣總督府技師京都帝國大學法科大學教授等に歷任し同三十九年法學博士の學位を授けらる同年第一高等學校長に任じ東京帝國大學農科大學教授を兼ぬ大正二年東京帝國大學法科大學教授となり後經濟學部勤務たりしが同十五年貴族院議員に勅選せられ現に其任に在り大學在職中大正九年より昭和元年まで國際聯盟事務局次長を兼たり曩に日米交換教授として米國に出張を命ぜられブラオン大學其他七大學に於て講演しブラオン大學より法學大博士の學位を贈られ又ジユネーブ大學より社會學博士の學位を贈らる
家族は尚孫誠(大七、七生、養子孝夫長男)同武子(同九、四生、同長女)あり
養叔母ワカ(元治元、一一生)は岩手縣人新渡戸良助に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、小日向臺町一ノ七五 電小石川二八五〇
参照人物(親類)山邊英太郞
参照次数1
読みにとべ いなぞう
別名
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