新渡戸稻造 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 巖手縣士族 | |
職業 | 農學博士、法學博士、東京帝國大學法科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年八月三日 (1862) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 萬里 文久二、八生、米國人ジヨセフ、ヱルキントン長女 養子 孝夫 明二五、五生、青森、士、河野孝忠次男 養子 こと 明二三、一一生、東京、土、稻田秀實姉 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府士族太田時敏の養子にして文久二年八月三日を以て生る明治二十二年先代七郞の養子となり家督を相續す同十四年札幌農學校を卒業し開拓使に出仕す更に東京帝國大學に遊ふこと一年有餘十七年米國に航しジヨンスホプキンス大學を卒へて歸朝し札幌農學校助教授に任せらる直ちに獨逸に留學を命せられボン、ハレ、ベルリン等の大學に遊ひ農政農學經濟等を專攻し在留四年にして歸朝し札幌農學校教授に昇任し北海道廳技師を兼ぬ三十二年農學博士の學位を受け臺灣總督府技帥京都帝國大學法科大學教授等に歷任し三十九年法學博士の學位を授けらる同年第一高等學校長に任し帝大農科大學教授を兼ぬ大正二年四月第一高等學校長を辭し現時東京帝國大學法科大學教授たり曩に日米交換教授として米國に出張を命せられブラオン大學及其他五大學に於て講演し法學大博士の學位をブラオン大學より贈らる 叔母ワカ(元治元、一一生)は巖手縣平民新渡戸良助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、小日向臺町一ノ七五 電話番町一〇七五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | にとべ いなぞう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]