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鍋島綱麿 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正五位
爵位・身分・家柄男爵、舊武雄領主
職業
性別男性
生年月日明治十七年二月 (1884)
親名・続柄 鍋島英昌の長男
家族母 ヨリ子 慶應三、一二生、男爵押小路昌信大叔母
妻 ミツ 明一九、四生、男爵多久龍三郞姉青山女學院出身
男 喜久麿 大五、一〇生
女 初子 明四三、一二生
女 愛子 大二、五生
記述部分(略伝)當家は鎭守府將軍利仁七世の孫後藤章明の後なり章明前九年役源賴義父子と共に奮戰し功により肥前國柄崎庄地頭に補せられ元永年中章明の男資茂始めて武雄に來る氏明の時弘安四年博多に赴き元軍と戰ひ功を立つ光明の時建武の中興に當り九州探題北條英時を討ち建武元年後醍醐天皇の綸旨を賜はり賞地を與へらる文中元年今川了俊の弟仲秋等肥前に於ける唯一の南朝方たる武雄城を攻む光明孤軍奮關して遂に下らず巍然として吉野朝廷を奉じ能く苦節を全ふせり後ち茂綱の時鍋島直茂の養妹を室とし鍋島と改む武雄二萬千六百石を食み先々代茂昌に至る茂昌維新の際勅命を蒙り手兵を率ゐ出羽庄内に出張して戰功あり明治三十年特旨を以て華族に列し男爵を授けられ長男英昌後を襲ぐ
君は英昌の長男にして明治十七年二月を以て生れ昭和二年八月家督を相續し同年九月襲爵仰付けらる夙に東京帝國大學法科大學に學び刀劍及陶磁器の硏究を趣味とす
家族は尚三女美代子(大一三、四生)弟佐吉(明四〇、二生)叔母マサ(同九、四生)叔父精次郞(慶應元、一〇生)及其子女あり
妹清子(明二五、五生)は東京府人山木甚五右衞門弟甚之助に同マツ子(同二七、一生)は男爵古市公威二男啓次に同モト子(同二九、六生)は子爵大島久直六男佐に嫁せり
住所・電話番号佐賀、杵島、武雄町
参照人物(親類)子爵大島久直、男爵押小路昌信、男爵多久龍三郞、男爵古市公威、※梅原逸太郞、※織田佐太郞
参照次数6 (※なし4)
読みなべしま
別名
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