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中濱東一郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從五位、勳四等
爵位・身分・家柄東京府士族
職業醫學博士、住友生命保險(株)醫務顧問、中央衞生會委員、日本保險醫學協會々長
性別男性
生年月日安政四年七月 (1857)
親名・続柄 中濱萬次郞の長男
家族妻 よし 明元、四生、東京、士、畔柳完道姉
男 清 明二八、九生、王子製紙會社員、慶應義塾政治科出身
婦 はな 明三八、五生、長男清妻、北海道、石館友作二女、三輪田女學校出身
男 明 明三三、一生、東京帝國大學文學部在學
記述部分(略伝)君は舊高知藩士中濱萬次郞の長男にして安政四年七月を以て生れ後家督を相續す先代萬次郞少年の頃無人島に漂流し米國捕鯨船長ホイツトフヰルトに助けられ在米十年數學天文航海學等を修めペルリ渡米前歸朝し開國に盡力せる人なり君は明治十四年東京大學醫學部を卒業し福島醫學校長岡山醫學校教諭金澤醫學校長並に同病院長等に歷任し同十八年内務省御用掛となり海外に派遣せらる同二十二年歸朝内務省技師に任じ次で東京衞生試驗所長を兼ね同二十四年醫學博士の學位を授けらる後官を辭し鎌倉病院並に囘生病院を設立し其顧問或は院長となりて診療に從事せしが大正六年末同病院を閉鎖し現時住友生命保險會社醫務顧問にして前記各團體役員に擧げらる曾て東京市醫師會長たり
長女いと(明一五、一〇生、跡見女學校出身)は醫學博士高山正雄に三女綾子(同二七、四生、學習院女學部出身)は兵庫縣士族小寺謙吉弟工學士又吉に四女絹子(同三五、五生、出身校同上)は神奈川縣人渡邊福三郞三男法學士富三郞に嫁し弟西次郞(元治元、四生、工學士)同鷹三郞(明元、八生、從五位勳三等、海軍主計大佐)は各分家せり
住所・電話番号東京市外東調布町田園都市二九八號 電田園調一一二
参照人物(親類)石館友作小寺謙吉高山正雄渡邊福三郞、※片山國嘉
参照次数5 (※なし4)
読みなかはま とういちろう
別名
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