武田五一 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳二等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 京都府士族 | |
職業 | 工學博士、京都帝國大學教授、工學部勤務 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年十一月 (1872) | |
親名・続柄 | 武田直行の長男 | |
家族 | 妻 琴 明二二、三生、和歌山、谷井竹藏三女 男 直秀 明三二、一〇生 婦 武子 明三八、八生、長男直秀妻、大阪市長關一二女、清水谷高等女學校出身 男 英吉 明三四、九生 女 まさ 明四一、三生 女 ゆき 明四三、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は廣島縣士族武田直行の長男にして明治五年十一月を以て生れ同四十五年家督を相續す同三十年東京帝國大學工科大學を卒業し大學院に入る同三十三年圖案學硏究の爲英佛獨に留學し歸朝後京都高等工釀學校教授兼京都府技師大藏省臨時建築局技師名古屋高等工業學校長臨時議院建築局技師等に歷任し現時京都帝國大學教授たり大正四年工學博士の學位を受く海外に出張すること三囘に及ぶ曩に京都商業會議所特別議員に推され古社寺保存會委員たり 家族は尚孫直和(昭二、三生、長男直秀長男)あり 三男猛夫(明三七、一一生)は東京府人飯島貞臣の指定相續人となり姉マチ(同三、一一生)は岐阜縣士族佐々木曠に妹ロク(同八、三生)は山口縣人原田信次郞に嫁し同ノブ(同一一、二生)は東京府士族山岡祐章の養母にして叔父安之助(安政二、二生)は其妻と共に分家せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、千本丸太町西入下ル 電西陣一六九四 | |
参照人物(親類) | 關一、山岡祐章 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | たけだ ごいち | |
別名 |