五十嵐秀助 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 工學博士、諏訪工業、共立電氣電線、東洋木材防腐各(株)顧問 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政五年十二月 (1859) | |
親名・続柄 | 德間久三郞の三男 | |
家族 | 妻 まつ 元治元、四生、山形、士、樋口一郞妹 男 秀二 明三一、九生 婦 實 明四〇、四生、二男秀二妻、東京、本多忠夫四女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊米澤藩士德間久三郞の三男にして安政五年十二月を以て生れ同藩士五十嵐正和の養子となり明治三十一年家督を相續す同十五年工部大學校電氣科を卒業し直に工部省に入り後遞信省技師に任ぜらる此間電信電話事業視察の爲歐米各國に派遣せらるゝ事二囘爾來東京郵便電信局建築課長東京電話交換局長東京遞信局工務部長等に歷任し東京橫濱等の電話工事の基礎を定め農商務省特許局技師宮内省内匠寮御用掛等を兼任し明治三十二年工學博士の學位を受け大正六年官を辭してより支那漢口武昌の電話改善事業を引受け同九年之れを完成せり現時は前記各會社の顧問として閑地にあり趣味として撞球圍碁等あり謠曲を得意とす 家族は尚孫惠美子(大一五、一一生、二男秀二長女)あり 長女さだ(明一九、四生)は千葉縣人宇田喜太郞に二女梅(同二四、四生)は遞信局技師工學士宮井誠吉に三女きく(同二八、一一生)は東京府人日比勝治に四女幸(同三五、六生)は工學士芝田修一に五女勇(同三八、四生)は大阪府人坂上宗兵衞長男宗太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外大崎町上大崎二七八 電高輪五〇 | |
参照人物(親類) | 坂上宗兵衞、本多忠夫、宮井誠吉、※高橋信、※橋本喜助 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | いがらし ひですけ | |
別名 |