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井深梶之助 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級勳五等
爵位・身分・家柄東京府士族
職業米國神學博士、明治學院名譽總理兼神學教授、日本基督教青年會同盟委員長
性別男性
生年月日安政元年六月 (1854)
親名・続柄 井深宅右衞門の長男
家族妻 花 元治元、二生、岡山、大島一雄妹
男 文雄 明一四、六生、三菱造船所參事
婦 三枝 明二三、一生、長男文雄妻、鹿兒島、福島武二二女、橫濱英和女學校出身、ピヤニスト
男 健次 明二三、一二生、醫學博士、陸軍三等軍醫正、陸軍々醫學校教官
婦 磯 明三〇、八生、二男健次妻、東京、士、鶴田禎次郞二女
男 眞澄 明三五、九生、米國留學中
男 清見 明三六、一二生、建築技師
記述部分(略伝)君は舊會津藩士井深宅右衞門の長男にして安政元年六月を以て生れ明治二十九年家督を相續す夙に東京橫濱に於て英學を修め同十九年明治學院教授兼副總理に擧げられ同二十三年副總理を辭し米國に遞學し二十四年歸朝更に總理に擧げられ在職三十年大正十年に至る明治二十六年以來日本基督教青年會同盟委員長として之が發展を謀り其代表者として歐米の學生基督教青年會同盟大會に列席せること數囘又大正八年東京に於て世界日曜學校大會の開催せらるゝや日本日曜學校協會代表委員として列席し名譽副議長に選擧せらる
家族は尚孫正彦(大二、三生、長男文雄二男)同文枝(同四、二生、同長女)同幸子(同六、一一生、同二女)同重健(同九、三生、二男健次長男)同健明(同一〇、九生、同二男)同貞雄(同一三、一生、同三男)あり
長女チヨ(明一六、一〇生)は東京府士族九州帝國大學教授工學博士荒川文六に二女トヨ(同一九、九生)は長野縣人東京外國語學校教授片山寬に三女ハル(同二二、一生)は兵庫縣士族醫學士木村良夫に妹サク(同元、七生)は貴族院議員工學博士眞野文二に妹ミヱ(萬延元、八生)は福島縣士族和田仙太郞先代又四郞に嫁せり
住所・電話番号東京、芝、白金三光町三四六
参照人物(親類)荒川文六片山寬鶴田禎次郞眞野文二和田仙太郞
参照次数5 (※なし5)
読みいぶか かじのすけ
別名
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