田中義一 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、山口縣華族 | |
職業 | 陸軍大將、内閣總理大臣兼外務大臣、貴族院議員、立憲政友會總裁 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年六月 (1863) | |
親名・続柄 | 田中信祐の三男 | |
家族 | 妻 ステ 明七、八生、故陸軍中將大築尚志六女、東京、士、大築佛郞姉 男 龍夫 明四三、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊山口藩士田中信祐の三男にして文久三年六月を以て生れ明治二十五年分家して一家を創立す同十九年陸軍士官學校を卒業して陸軍步兵少尉に任じ同二十五年陸軍大學校を卒業し大正十年陸軍大將に累進す其間第一師團副官同參謀大本營陸軍參謀滿洲軍參謀陸軍省軍務局軍事課長同軍務局長步兵第二旅團長參謀次長等に歷補し同七年原内閣の下に陸軍大臣となり同九年勳功に依り華族に列し男爵を授けらる同十二年山本第二次内閣に列して再び陸相の椅子を占め爾來軍事參議官たりしが同十四年依願豫備役となり立憲政友會總裁に推され同十五年貴族院議員に勅選せらる昭和二年四月若槻内閣の後を承け大命を拜して内閣を組織し總理大臣に親任せられ外務大臣を兼ぬ 家族は尚ほ二女壽美子(大一〇、三生)四女於莵女(同一五、六生)孫健雄(同一〇、七生、離緣養子敏雄長男)あり 長女政子(明四〇、二生、東京府立第五高等女學校出身)は福島縣人依田盛昌弟悌に嫁し三女登米子(大一一、五生)は東京府人出口ふみの養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山北町四ノ六五 電青山六七五 | |
参照人物(親類) | 大築佛郞、※柳莊太郞 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | たなか よしかず | |
別名 |