鹽原又策 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 三共、亞細亞アルミナム、紐育高峰コーポーレーシヨン、高峰保全各(株)代表取締役、大和釀造、泰昌製藥、臺灣生藥、富士屋ホテル、興東貿易、柏木檢溫器各(株)取締役、鳥居商店、日新醫學社各(株)監査役、鹽原(名)代表社員、理化學硏究所、藥學振興會、帝國發明協會、化學工業協會、東京藥學專門學校各理事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十年一月 (1877) | |
親名・続柄 | 鹽原又市の長男 | |
家族 | 妻 千代 明一九、一〇生、東京、奧田象三長女、東洋英和女學校出身 男 禎三 明四二、九生、水戸高等學校在學 女 朝子 明三九、七生、聖心女子學院出身 女 英子 明四一、三生、聖心女子學院出身 女 智子 明四四、一生、聖心女子學院在學 女 泰子 明四五、七生、聖心女子學院在學 | |
記述部分(略伝) | 君は長野縣人鹽原又市の長男にして明治十年一月を以て生れ同三十七年家督を相續す當時の橫濱英和學校に學び日本製茶會社に入りて夙に實業界の人となる次いで橫濱絹物會社を設立し其取締役支配人となり明治三十二年製藥業を以て雄飛せんと圖り在米高峰博士と相提携して我が製藥工業の發展を畫策し同三十五年東京に出で三共合資會社を起し全然身を製藥界に投ずるに至れり爾來歐米に航すること數囘大いに得る處あり大正二年更に株式組織に改め其專務取締役に就任し引き續き經營の任に膺り尚前揭會社の重役たり好みて古陶器を蒐集す 家族は尚二男祥三(大三、二生)三男良三(同五、一〇生)五男健三(同九、一一生)六男英三(同一一、五生)あり 妹トヨ(明一一、八生、跡見女學校出身)は東京府人福井源次郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外澁谷町羽澤一〇二 電青山五〇四、九〇一 | |
参照人物(親類) | 奧田象三、福井源次郞、※小島誠、※田篤 | |
参照次数 | 4 (※なし2) | |
読み | しおばら またさく | |
別名 |