藤田菊江 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 兵庫縣士族 | |
職業 | 辯護士 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年十月十九日 (1854) | |
親名・続柄 | 藤田俊信の二男 | |
家族 | 母 たい 文政七、七生、兵庫、士、山名十郞左衞門長女 妻 かめき 慶應二、一二生、福岡、士、田中一增妹 男 俊一郞 明一二、三生 婦 操 明二三、一一生、長男俊一郞妻、東京、平、田中不二雄姉 男 俊三 明一九、二生 婦 みつ 明二三、一生、三男俊三妻、北海道、平、中大路氏緝妹 男 俊六郞 明二四、三生 男 俊克 明二八、六生 女 たき 明三一、一二生 庶子女 ひで 明二七、一〇生、生母、三重、平、福山きしゑ | |
記述部分(略伝) | 君は兵庫縣士族藤田俊信の二男にして安政元年十月十九日を以て生れ明治七年十二月家督を相續す同十四年裁判所書記となり同二十年判事登用試驗に及弟し判事に任し爾來宇都宮安濃津各地方裁判所山田四日市名古屋各區裁判所監督判事を經て同三十年名古屋控訴院判事に補し後名古屋地方裁判所部長同控訴院部長那覇地方裁判所長富山地方裁判所長等に歷補し大正二年七月職を辭して辯護士となり同年九月以來大阪市に於て開業し訴訟事務に從事せり 家族は尚孫俊正(明四四、一生、三男俊三長男)同俊安(大元、一二生、同二男)あり | |
住所・電話番号 | 大阪、北、眞砂町四六 電話東四六五一 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | ふじた きくえ | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]