松平義生 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊濃州高須藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政二年五月二十九日 (1855) | |
親名・続柄 | 小出英教の二男 | |
家族 | 妻 安子 文久元、九生、子爵松平賴孝叔母 男 義爲 明一六、七生、正五位 婦 敏子 明二四、四生、二男義爲妻、子爵小出英▲妹 男 義守 明二七、九生 女 公子 明三〇、九生、學習院女學部在學 | |
記述部分(略伝) | 當家は德川家康の孫權大納言光友の二男攝津義行の後なり義行封三萬石を分與され別に一家を成し諸侯の列に加はれり後十二世を經て從五位義勇に至る君其後を承く 君は從五位下信濃守小出英教の二男にして安政二年五月二十九日を以て生れ明治二年六月松平家に養子となり同年七月封を襲き高須藩知事となり同三年十二月名古屋藩知事に同十年七月三等中警部心得に同年十一月一等少警部に同十一年四月權中警部に進み同十四年五月宮中祗候を仰付られ同十七年七月子爵を授けらる 家族は前記の外六男義忠(明三三、八生)七男義利(同三五、七生)孫秀子(同四四、一二生、二男義爲長女)同義明(大二、三生、同長男)あり 三男義典(明二二、五生)は佐竹氏を稱し分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、四谷、荒木町二七 電話番町一五三七 | |
参照人物(親類) | 子爵松平賴孝、子爵小出英延、※伯爵大谷光瑞、※子爵久松勝親、※子爵東胤祿 | |
参照次数 | 6 (※なし2) | |
読み | まつだいら よしなり | |
別名 |