池田禎政 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊岡山藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十八年四月二十二日 (1895) | |
親名・続柄 | 池田詮政の長男 | |
家族 | 母 安喜子 明三、六生、故久邇宮朝彦親王三女 大叔父 勝順 明一八、三生 大叔父 勝德 明二五、一一生 大叔母 鎭子 明二三、四生 大々叔母 千代子 慶應元、七生 姉 温子 明二五、一二生 | |
記述部分(略伝) | 當家は源經基の裔池田信輝の後なり信輝豐臣秀吉に仕へ其子輝政德川家康の二女を娶り關ケ原の戰後德川氏に仕へ藩州姫路五十二萬石を領し後備前岡山三十一萬五千石に轉す其孫光政學を好み熊澤蕃山を擧げて之を用ひ令名あり九代章政維新の際國事に奔走して功あり明治十七年侯爵を授けられ先代詮政に至る 君は其の長男にして明治二十八年四月二十二日を以て生れ同四十二年六月父詮政の死亡によりて家族を相續し襲爵仰付らる 家族は前記の外弟政鈞(明三七、七生)あり 同政鋹(同三二、一生)は子爵池田政保の養子となり姉博子(同二二、一生)は男爵細川護立に同鋠子(同二五、一生)は伯爵烏丸光大に養大叔母恒子(同一三、一〇生)は子爵堀川護麿に嫁し大叔父勝吉(同七、八生)は分家して男爵を授けられ大叔母信子(同一七、九生)は大叔父勝吉の養子となり後ち兵庫縣平民佐々木祐玄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、荏原、大崎町下大崎八九 電話芝八八六 | |
参照人物(親類) | 久邇宮家、伯爵烏丸光大、子爵堀川護麿、子爵池田政保、子爵池田政時、男爵細川護立、男爵池田勝吉 | |
参照次数 | 8 (※なし8) | |
読み | いけだ ただまさ | |
別名 |