丸山豐治郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 衆議院議員(新潟縣郡部選出)、高田日報社々長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年一月二十七日 (1868) | |
親名・続柄 | 丸山與三左衞門の長男 | |
家族 | 男 芳夫 明二四、六生 女 セツ 明二六、一〇生 女 耐 明三一、八生 弟 茂治 明一四、一〇生 弟妻 ハル 明一七、七生、弟茂治妻、新潟、平、大竹貫一二女 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民亡丸山與三左衞門の長男にして明治元年一月二十七日を以て生れ同十九年四月家督を相續す夙に慶應義塾に學ひ後ち村長郡會議員郡參事會員の公職に就き傍ら高田日報を創刊し其社長となり今日に至る曩に衆議院議員に選はれ現に其任にあり 家族は尚庶子女ウタ(明三六、三生)同男貞夫(大二、四生、生母、丸山チイ)甥實(同元、一一生、弟茂治長男)あり 妹テイ(明八、六生)は長野縣平民上條五六弟元藏に嫁し弟謙治郞(同一一、九生)は新潟縣平民笠原惠の養子となれり | |
住所・電話番号 | 新潟、中頸城、菅原村 | |
参照人物(親類) | 大竹貫一 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | まるやま とよじろう | |
別名 |