安川敬一郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 福岡縣士族 | |
職業 | 衆議院議員(福岡市選出)、福岡縣多額納税者、明治鑛業株式會社々長、明治紡績合資會社代表社員、鑛業 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永二年四月十八日 (1849) | |
親名・続柄 | 德永省易の四男 | |
家族 | 妻 ミ子 嘉永五、七生、亡養父岡右衞門二女 男 清三郞 明一〇、九生、株式會社若松貯蓄銀行頭取、明治紡績合資會社代表社員 婦 こう 明一七、九生、三男清三郞妻、東京、士、阿部泰藏長女 男 第五郞 明一九、六生、工學士 婦 マツ 明二五、九生、五男第五郞妻、東京、士、鶴原定吉三女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊筑前藩士德永省易の四男にして嘉永二年四月十八日を以て生れ幼にして先代安川岡右衞門の養子となり家督を相續す少壯經史に通し舊藩執政局に出仕す明治五年上京して慶應義塾に學ひ後實業に志し石炭の採掘及販賣の事に從ひ百難を排して鋭意其經營に力め九州鑛業界の牛耳を把るに至れり方今直接國税六千七百圓を納め多額納税者にして又前記諸會社の重役たり明治四十一年二男健次郞と協力し私財百五十萬圓を抛ち若松町に明治專門學校を創立したる功を以て勳三等に叙し瑞寶章を授けらる大正三年十一月福岡市より選はれて衆議院議員となる 家族は尚孫寬(明三六、一生、三男清三郞長男)同美知子(同三八、五生、同長女)同眞(同四〇、四生、同二男)同惠美子(同四一、七生、同二女)同糺(同四三、一生、同三男)同春子(同四五、二生、同三女)あり 長女ハツ(明二三、一生)は東京府人堀内七十郞弟工學士敏曉に嫁し養子謙介(文久元、八生、佐賀、士、鈴木重敬二男)は其子を伴ひ分家し二男健次郞(明三、一〇生)は福岡縣士族松本潜の養子となり養姉ヌイ(天保一一、三生)は同縣士族福島隆の母たり | |
住所・電話番号 | 福岡縣若松市 | |
参照人物(親類) | 松本健次郞、安川謙介、阿部泰藏、鶴原定吉、福島隆、※磯邊包義 | |
参照次数 | 6 (※なし5) | |
読み | やすかわ けいいちろう | |
別名 |