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山極勝三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳三等
爵位・身分・家柄東京府士族
職業醫學博士、東京帝國大學醫科大學教授
性別男性
生年月日文久三年二月二十三日 (1863)
親名・続柄 山本政策の二男
家族母 みき 安政元、四生
妻 かね 明元、一〇生、養父吉哉長女
男 二郞 明二八、四生
妹 のぶ 明一四、二生
嫁 松子 明二〇、五生
弟 萬壽吉 明二二、八生
記述部分(略伝)君は長野縣人山本政策の二男にして文久三年二月二十三日を以て生れ先代吉哉の養子となり明治四十年八月家督を相續す同二十一年醫科大學を卒業して醫學士の稱號を得直に同大學助手となり同二十四年同大學助教授に任し尋て獨逸に留學を命せられ同二十七年歸朝同大學教授に進み現に其職にあり先是同二十八年醫學博士の學位を受く又公務の餘暇を以て雜誌「癌」を發行し癌の研究に從事す
家族は尚三男三郞明三二、五生)二女梅子(同三五、四生)三女花(同三八、三生)四男末男(同四一、四生)あり
住所・電話番号東京、本鄕、駒込西片町一〇ろ一一號
参照人物(親類)
参照次数
読みやまぎわ かつさぶろう
別名
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