山田三良 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 法學博士、東京帝國大學法科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年十一月十八日 (1869) | |
親名・続柄 | 山田平三郞の三男 | |
家族 | 妻 繁子 明一八、八生、靜岡、士、江川英武長女 | |
記述部分(略伝) | 君は奈良縣平民山田平三郞の三男にして山田純精林平造の弟なり明治二年十一月十八日を以て生れ同二十六年分れて一家を創む同二十年東京專門學校に入り同二十三年更に法科大學選科に轉し英法科を修め同二十六年全科修了後私立錦城中學校に入りて普通學を修め同二十八年第一高等學校に於て學力檢定試驗を通過し同年再ひ法科大學に入り同二十九年卒業して法學士と爲り直に大學院に入りて國際私法を專攻せり法典調査會起草委員補助を命せられ同年獨佛英米諸國に留學を命せられ同三十四年七月歸朝し東京帝國大學法科大學教授に任せられ現時其職に在り翌年七月法學博士の學位を受け同三十六年以來法科大學の機關たる法學協會雜誌の編輯主幹を囑托せらる〻や君鋭意之か改良を圖りて其面目を一新し遂に同誌をして我邦斯學界の木鐸たるの盛名を肆にせしむるに至れり本年四月以來更に月刊雜誌法華を創刊し日蓮主義の宣傳に努力せり 家族は前記の外長女和子(明四二、五生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、辨天町一七二 電話番町一五九二 | |
参照人物(親類) | 江川英武、山田純精、林平造 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | やまだ さぶろう | |
別名 |