山地元彦 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | 陸軍騎兵中尉 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十四年九月十日 (1881) | |
親名・続柄 | 山地元治の長男 | |
家族 | 嫡母 謙 弘化四、七生、高知、士、亡中島三平二女 生母 津屋 文久三、八生、東京、平、倉本彦五郞長女 妻 文子 明一八、一生、東京、士、櫻井庫五郞二女、日本女子大學校國文科出身 男 元忠 明四四、一二生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代亡山地元治より家名を揚く元治は舊土佐藩士にして維新前土佐藩其兵を京都に出せし際擢んてられて一隊の長となり大に幕兵と戰ひ尋いて王師東征の際藩兵の小隊長として奥羽の野に轉戰し勳功尠からす明治四年五月召に應して上京し翌五年陸軍少佐に任し同七年中佐に進み軍務局近衞局の各分課に歷仕す同九年仙台步兵第四聯隊長となり同十年三月出征別働第三旅團參謀を命せられ同年四月西南の職地に出征し大に武勳あり同十四年二月少將に累進し熊本鎭臺司令官に補せらる同十九年十一月陸軍中將に陞任し同五月特旨を以て華族に列し男爵を授けらる尋て第一師團長に轉し日清の役遼島半島に出征し武功尠からす同二十八年八月特に子爵に陞せられ勳一等功三級に陞叙し金鵄勳章旭日大綬章を賜はり尋て西部都督に任せらる 君は其の長男にして明治十四年九月十日を以て生れ同三十年七月家督を相續し襲爵仰付けらる夙に學習院に學ひ後陸軍士官學校を卒業し同三十七年騎兵少尉に任し尋て中尉に進み現時陸軍々馬補充部釧路支部音別派出部に勤務す | |
住所・電話番号 | 陸軍々馬補充部釧路支部音別派出部 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | やまじ もとひこ | |
別名 |