矢口長右衞門 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 栃木縣平民 | |
職業 | 栃木縣多額納税者、株式會社寶積寺銀行取締役監督、宇都宮電球株式會社取締役會長、株式會社矢板銀行、株式會社小川銀行、株式會社喜連川興業銀行下野新聞株式會社、寶積寺米券倉庫株式會社、寶積寺倉庫株式會社、鹽原軌道株式會社、宇都宮倉庫株式會社、宇都宮米券倉庫株式會社各取締役、株式會社下野銀行、下野印刷株式會社、下野起業株式會社各監査役、東海生命保險會社評議員、保晃會理事、早稻田大學評議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年六月十一日 (1867) | |
親名・続柄 | 矢口長右衞門の長男 | |
家族 | 祖母 久良子 天保四、八生、茨城、士、小室平次右衞門長女 母 浪子 嘉永四、五生、茨城、平、小室俊平長女 妻 信子 明四、九生、栃木、平、三澤七郞平長女 男 實 明四〇、九生 弟 理喜 明二三、三生、東京帝國大學法科大學在學中 | |
記述部分(略伝) | 君は栃木縣平民亡先代矢口長右衞門の長男にして慶應三年六月十一日を以て生れ明治四十四年十二月家督を相續し先代の名を繼く家は世々農業及醬油釀造業を營み縣下の大地主たり君夙に東京に出で明治二十年六月東京專門學校英語科を卒業して帝國大學法科大學選科に人り理財學を專攻し歸鄕して祖業を繼承し專ら實業の發達に努力し終に地方實業界の雄を以て目せらる〻に至れり方今直接國税二千四百餘圓を納め縣下の多額納税者たり 家族は尚三女隆子(明三四、一〇生)四女英子(同三六、八生)五女松子(同四五、一生)あり 長女富美子(同二八、七生)は栃木縣人藤平謹一郞長男眞に嫁し弟清(同一三、四生、工學士)は同縣平民氷室新右衞門に同長三(同一七、七生、法學士、海軍大主計)は同縣人高杉甚兵衞に各養子となり妹リウ(同四、四生)は同縣平民杉田勘一郞長男彌太郞に叔母ヤス(同二、二生)は同縣人村山幸次郞に養叔母キク(同三、三生、栃木、平、和地吉平二女)は同縣平民石川竹治に養子キヨシ(同二七、七生、栃木、平、齋藤繁三郞二女)は同縣平民小池重太郞弟七郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 栃木、鹽谷、北高根澤村 | |
参照人物(親類) | 三澤七郞平、藤平謹一郞、氷室新右衞門 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | やぐち ちょうえもん | |
別名 |