矢野恒太 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正七位 | |
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Title/ Family rank etc. | 岡山縣平民 | |
Occupation | 第一生命保險相互會社專務取締役 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 慶應元年十二月二日 (1866) | |
Parent and relation | 矢野三益の長男 | |
Family | 妻 トシ 明九、九生、東京、士、森則義長女 男 一郞 明三二、二生 女 菊子 明三三、一一生 | |
Biography | 君は岡山縣平民先代矢野三益の長男にして慶應元年十二月二日を以て生れ明治三十一年五月家督を相續す同十三年大學醫學部豫備科に入り後岡山醫學校に學ひ同二十二年第三高等中學校醫學部を卒業し後日本生命保險株式會社に入り其審査醫員となる同二十六年共濟生命保險會社の創立に盡力し其支配人となり同二十八年保險事業視察の爲め歐米に航し白耳義に開催せる第一回生命保險萬國會議に參列し同會副會頭に選はる後事務見習の爲め獨逸生命保險會社に入り尋て各國を歷遊し保險事業に就き調査する所あり同三十年歸朝す翌年農商務省保險事務官に任せられ同三十三年内閣統計局審査官を兼任す後官を辭して第一生命保險相互會社に入り推されて專務取締役となる君又漢學の造詣深くポケツト論語藝者論等の著書あり 家族は尚二男二郞(明三七、二生)二女雪子(同三九、一二生)あり 姪壽(同一四、九生、姉松私生子女)は東京の人高輪守典長男守幸に嫁せり | |
Address phone | 東京、荏原、入新井村新井宿一四八七 電話大森七 | |
Relative | ||
Degree | ||
Pronounciation | やの つねた | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]