内山小二郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等、功二級 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 陸軍中將、侍從武官長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政六年十月二十日 (1859) | |
親名・続柄 | 内山覺治の二男 | |
家族 | 母 利賀 文政九、九生、福島、土、馬場甚太夫三女 妻 訓 明四、九生、鹿兒島、士、田中綱常三女 男 雄二郞 明二七、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府士族内山覺治の二男にして安政六年十月二十日を以て生れ明治十五年九月先代兄定吾の跡を嗣く明治八年陸軍幼年學校に同十年五月陸軍士官學校に入り同十二年十二月陸軍砲兵少尉に任し同十五年砲兵中尉に同十八年砲兵大尉に任し後陸軍大學校に入り同二十一年十一月成績優等にて卒業し爾來累進して四十年十一月中將に進む其間第六師團參謀露國公使館附佛國公使館附由良要塞司令官東京灣要塞司令官第十五師團長に歷補し大正二年八月侍從武官長に補せられ現に其職にあり日清の役には第一師團參謀として從軍し日露の役には野戰砲兵第一旅團長として軍に從ひ功に依り勳二等重光旭日章功二級金鵄勳章を授けらる 家族は前記の外二男豪三郞(明二九、三生)三男武四郞(同三五、二生)長女育子(同三六、四生)四男五郞(同三七、一一生)二女良子(同四一、一一生)五男六郞(同四三、九生)三女壽榮子(大二、六生)あり 從弟富治(安政四、正生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、千駄ケ谷町原宿一七〇 電話芝九五八 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | うちやま こじろう | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]