植村俊平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 山口縣平民 | |
職業 | 株式會社大阪株式取引所理事長、大正生命保險株式會社、株式會社第百十銀行各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年十月十九日 (1863) | |
親名・続柄 | 植村島之丞の二男 | |
家族 | 妻 多榮 明七、三生、東京、士、岡村輝彦妹 男 琢 明二六、七生 女 綾 明二七、一二生 女 八千代 明二九、一一生 女 マキ 明三三、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は山口縣士族植村島之丞の二男にして文久三年十月十九日を以て生れ明治二十年分家して一家を創立す同十九年七月帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得法科大學助教授に任せられ同二十一年七月依願免官同二十四年十一月英國倫敦に於て法律學を修め歸來同二十九年日本銀行副支配役となり後住友本店に入り同三十三年十一月九州鐵道會社支配役となり同四十一年鐵道國有後鐵道院理事に任せられ九州鐵道管理局長となり四十三年八月大阪市長に就任し後辭して現に前記會社の重役たり 家族は前記の外二男成(明三二、一生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、上二番町四二 電話番町三九二八 | |
参照人物(親類) | 岡村輝彦、※岡村龍彦 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | うえむら しゅんぺい | |
別名 |