植村永孚 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳二等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 退役海軍中將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年六月十日 (1850) | |
親名・続柄 | 植村彌平太の長男 | |
家族 | 妻 連舞 文久元、五生、熊本、士、須藤定武二女 男 直木 明一六、九生 女 喜代 明二五、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は岐阜縣士族亡植村彌平太の長男にして嘉永三年六月十日を以て生れ後家督を相續す夙に海軍に志し明治十年海軍少尉に任し累進して海軍中將に陞り同四十年豫備役となり後退役仰付らる其間愛宕大島秋津洲高千穗比叡吉野鎭遠初瀨各艦長佐世保鎭守府參謀長橫須賀鎭守府旅順鎭守府各港務部長馬公要港司令官等に歷補せらる日清の役には旅順海軍根據地參謀長の職にありて勳功あり功四級金鵄勳章を賜はり勳二等に叙せらる 家族は尚二男武彦(明二七、一二生)あり 二女ともゑ(同二〇、四生)は青森縣平民宇野清左衛門二男要三郞に嫁し三女富貴(同二三、三生)は廣島縣平民吉田弘藏長男豐に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、三軒家町三七 | |
参照人物(親類) | 宇野清左衛門 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | うえむら えいふ | |
別名 |