村山龍平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 大阪府平民 | |
職業 | 朝日新聞合資會社々長、大阪殖林合資會社代表社員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年四月三日 (1850) | |
親名・続柄 | 村山守雄の長男 | |
家族 | 妻 マス 安政四、五生、京都、平、小林卓藏長女 女 於藤 明三〇、四生 | |
記述部分(略伝) | 君は故國學者村山守雄(號松根)の長男にして嘉永三年四月三日伊勢國田丸に生れ明治二年二月家督を繼承す維新後京都に出てゝ油商を營み尋て種々の事業に著手せしも何れも失敗に歸して窮地に陷る明治十二年芝川又右衛門木村平八等と共に大阪に一日刊新聞を創刊し名けて朝日新聞と題す之れ現今の大阪朝日新聞の前身となす創業當時幾多の浮沈と戰ひつゝ爾來一意其の經營發展に努力し辛酸幾年遂に同新聞をして今日の隆盛あるに至らしむ同二十二年更に東京めざまし新聞を買收して東京朝日新聞と改題し東西相應して言論界に重きを置かる又同年東京公論と大阪公論とを同時に東西に起し翌年東京公論を廢して國會新聞を發刊せしも後專ら力を東西兩朝日新聞の經營に傾倒せり又近時會員を募りて世界一週會を催す事二回最近又飛行會を擧行する等我國文運に貢獻する處尠からす曩に大阪市參事會員に擧けられ又大阪市より選はれて衆議院議員となりし事あり | |
住所・電話番号 | 大阪、東、高麗橋五ノ四六 電話本局一九〇三 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | むらやま りゅうへい | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]