中島永元 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 錦鷄間祗候、佐賀縣士族 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化元年七月十六日 (1844) | |
親名・続柄 | 中島永遠の長男 | |
家族 | 妻 シツ 安政四、一〇生、東京、平、田中篤郞姉 男 正次 明三五、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊佐賀藩士中島永遠の長男にして弘化元年七月十六日を以て生る夙に長崎に遊ひ米國宣教師フルベツキ博士に就きて英學を硏習し維新後江戸に出てゝ國事に盡力せり後藩命を以て大學南校に入學し其學識衆に越ゆるを以て擢てられて大學中助教兼中舍長となり尋て大舍長に進み同三年大學權少丞に任せられ大阪洋學校長となり尋て文部少丞に進み歐米に差遣せられ教育事業を視察して歸朝す爾後文部大書記官大學分校長第三高等學校長文部省參事官等に歷任し同二十二年元老院議官に任し又錦鷄間祇候となり同二十四年貴族院議員に勅選せられ現に其任に在り 家族は前記の外三男元平(明三八、九生)三女タネ(同三二、四生)あり 妹ふみ(慶應三、正生)は東京府士族原田鎭治に同スヱ(明八、九生)は同府士族笹岡雅房長男雅德に二女トク(同二六、一〇生)は子爵井上良馨二男虎に嫁し弟寅吉(同一一、一生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、西久保城山町三 電話芝二三〇四 | |
参照人物(親類) | 子爵井上良馨、原田鎭治 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | なかじま ながもと | |
別名 |