板倉勝憲 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | 毫灣總督府臨時工事部囑托 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年九月二十四日 (1871) | |
親名・続柄 | 板倉勝達の長男 | |
家族 | 祖父 勝已 嘉永四、三生、從三位 祖母 藤子 安政六、一一生、東京、士、渡邊當次妹 母 稻子 嘉永四、六生、子爵細川立興養叔母 妻 ユキ 明一一、一二生、東京、平、春木一郞妹 男 勝朝 明二九、一生 弟 勝時 明二三、四生 違弟 勝久 明二四、五生、亡大叔父勝英長男 | |
記述部分(略伝) | 當家は清和天皇の皇孫源經基八代陸奥守足利義康の裔板倉二郞義顯の末葉從四位下重矩の二男石見守重種の後なり初め野州烏山の城主たりしも後奥州福島に封せられ夫より數代を經て從三位勝達に至る 君は其長子にして明治四年九月二十四日を以て生れ大正二年七月其後を襲ぐ明治三十一年七月東京帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得方今臺灣總督府臨時工事部事務囑托を受け現に其任にあり 家族は尚長女春子(明三五、三生)二女光子(同三八、一二生)あり 弟勝明(同七、七生)同勝輝(同一〇、七生)は分家し姉信子(萬延元、一〇生)は子爵安部信明先代信順に嫁し養大々叔母花子(天保四、一生)は東京府平民山後繁山の死跡を相續し又從妹貴美子(明二六、六生)は東京府士族堀田正敏に嫁せり | |
住所・電話番号 | 臺北、龍口街一ノ六 | |
参照人物(親類) | 子爵安部信明、子爵細川立興、春木一郞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | いたくら かつのり | |
別名 |