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中村覺 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從三位、勳一等、功二級
爵位・身分・家柄男爵、滋賀縣華族
職業陸軍中將、關東都督
性別男性
生年月日安政元年二月二十日 (1854)
親名・続柄 中村千太夫の二男
家族妻 外千代 慶應元、五生、滋賀、士、小林松太郞妹
男 謙一 明一五、二生、從五位工學士鐵道院技師(外國留學中)
婦 玉枝 明二二、九生、長男謙一妻、東京、平宮岡恒次郞長女
男 謙四郞 明二三、一〇生、慶應義塾大學部在學
女 節 明三一、九生、學習院女學部在學
記述部分(略伝)君は滋賀縣士族中村千太夫の二男にして安政元年二月二十日を以て生る明治八年陸軍少尉に任せられ爾來累進して同三十八年七月陸軍中將に進み同四十一年侍從武官長に補せらる其間步兵第十聯隊第三大隊長第一師團參謀東宮武官侍從武官步兵第四十六聯隊長東部都督部參謀長臺灣總督府陸軍幕僚參謀長教育總監部參謀長戸山學校長第十五師團長侍從武官長東京衛戍總督等の要職に歷補し大正三年九月關東都督に轉任す西南の役に從ひ勳六等に叙し日清の役に功あり功四級金鵄勳章を賜ひ日露の役に步兵第二旅團長として出征旅順攻圍軍に參加し白襷隊長として驍名を轟かし功を以て功二級金鵄勳章を賜はり同四十年九月勳功に依り華族に列し男爵を授けらる君は又文章を好み和歌に長せり
家族は前記の外三女いさを(明三七、三生)七男謙七(同三九、五生)四女淑尾(同四二、三生)孫豐子(同四二、一二生、長男謙一長女)同徹雄(同四四、一二生、同長男)あり
三男謙三(同二一、二生)は東京府人森村喜美の入夫となり二男謙二(同一八、五生)は滋賀縣士族中村小五郞の死跡を五男謙五(同二六、三生)は大阪府士族小林松太郞の死跡を六男謙六(同三四、一生)は滋賀縣人吉原巳惠の死跡を各相續せり
住所・電話番号旅順、舊市街朝日町二ノ一官舍
参照人物(親類)宮岡恒次郞
参照次数1 (※なし1)
読みなかむら さとる
別名
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