名倉謙藏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 接骨師、醫師、株式會社興國銀行相談役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年七月一日 (1866) | |
親名・続柄 | 名倉彌一の長男 | |
家族 | 母 ひさ 弘化元、六生、東京、平、水野新右衛門次女 妻 あい 明六、一生、東京、平、橫山佐助二女 男 重雄 明二七、二生、第一高等學校在學 女 道 明三一、一〇生、私立女子商業學校在學 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府平民名倉彌一の長男にして慶應二年七月一日を以て生れ明治十六年十二月家督を相續す世々接骨醫を業とし五代百五十餘年を經都下に其名を知らる君夙に東京醫科大學別科を卒業して家業を繼き現今信用愈揚りて業務旺盛を極む又た興國銀行相談役たり 家族は前記の外次男英二(明二九、五生)四男讓(同三六、八生)六男厚(同四一、八生)四女たよ(大二、六生)あり 長女ケイ(明二二、八生)は香川縣士族中野武營二男武二に二女りつ(同二五、二生▲は埼玉縣平民野口秀に妹てうは埼玉縣人藤波磯吉に嫁せり弟市藏は分家して一家を創立し三男順三(明治三十四年生)は出てゝ松原家を繼き五男正(同同四十年生)も亦大村家を相續せり | |
住所・電話番号 | 東京南足立、千住町五ノ七二九 電話下谷一九六五 | |
参照人物(親類) | 中野武營 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | なぐら けんぞう | |
別名 |