Japanese

名和長憲 (4th Edition [January 1915] )

Rank/ Honors/ Grade從三位、勳三等、功四級
Title/ Family rank etc.男爵、鳥取縣華族
Occupation豫備陸軍少將
Gender男性
Birthday元治元年二月五日 (1864)
Parent and relation 友清貞治の二男
Family妻 温子 明四、七生、京都、士、大久保誠知長女
男 長臣 明二二、九生、從五位
女 霽子 明二九、八生、學習院女學部出身
Biography當家は名和長年の裔なり後數十世を經て長恭に至る長恭明治十一年名和神社の宮司となり同十六年華族に列し同十七年男爵を授けらる君其後を享く
實は福岡縣士族友清貞治の二男にして元治元年二月五日を以て生れ明治十五年七月先代長恭の養子となり同三十一年家督を嗣く君夙に身を軍籍に置き同二十一年陸軍士官學校を卒業して陸軍騎兵少尉に任せられ累進して大正三年五月陸軍少將に陞り同時に豫備仰付らる其間東宮武官士官學校教官東宮御用掛騎兵實施學校教官騎兵第一聯隊長等に歷補し日清の役に騎兵第四大隊中隊長として從軍し勳六等に叙せられ日露役には騎兵第一聯隊長として各地に轉載し勳功により勳三等旭日中綬章功四級金鵄勳章を賜はる
家族は前記の外二男長光(明三一、三生)三男長元(同三四、二生)五男長正(同三七、二生)六男長明(同三九、一一生)二女隆子(同四四、一生)あり
妹倭子(同三、二生)は其夫顯茂(慶應三、五生、福岡、士、草野村翁四男)及其子女と共に分家し弟顯英(明二一、一一生)も亦分家し七男長博(同四一、九生)は東京府平民山志田普照の養子となれり
Address phone東京、豐多摩、澁谷町大字中澁谷三八二 電話芝九八八
Relative
Degree
Pronounciationなわ ながのり
Another name
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