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鶴田鹿吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳二等
爵位・身分・家柄東京府士族
職業豫備海軍々醫總監、東京慈惠會醫院醫學專門學校教師
性別男性
生年月日安政四年十二月十三日 (1858)
親名・続柄 鶴田八藏の四男
家族妻 ヒサ 文久三、八生、栃木、士、松本暢二女
男 政雄 明一七、四生
男 洋 明二三、三生
男 英吉 明二七、八生
記述部分(略伝)君は舊柳川藩士鶴田八藏の四男にして安政四年十二月十三日を以て生れ先代初次の養子となり明治五年三月家督を相續す同十四年海軍少軍醫に任せられ爾來累進して同三十年海軍々醫總監に陞任す其間海軍兵學校軍醫長橫須賀呉各鎭守府軍醫長橫須賀海軍病院長佐世保呉各鎭守府醫務部長海軍々醫學校長海軍省醫務局第二課長兼海軍々醫學校教官等に歷補し呉海軍病院長兼呉鎭守府軍醫長たりしか現時豫備役仰付けられ東京慈惠會醫院醫學專門學校に教鞭を執れり日露役の功により勳三等旭日中綬章を授けらる
家族は尚六男保雄(明三三、四生)あり
長女千代(同一九、一一生)は福岡縣人河村市郞に嫁せり
住所・電話番号東京、麻布、市兵衞町二ノ一三
参照人物(親類)河村豐洲
参照次数1
読みつるだ しかきち
別名
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