土屋康二 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 神奈川縣平民 | |
職業 | 帝國石材株式會社取締役、石材問屋、回漕業 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十四年十二月十八日 (1881) | |
親名・続柄 | 土屋大次郞の長男 | |
家族 | 母 セツ 文久二、二生 妻 登美子 明一八、八生、神奈川、平、簑島吉平四女 男 康雄 明三九、五生 弟 計左右 明二一、三生、商學士、三井銀行員 | |
記述部分(略伝) | 當家は遠く甲州武田の家臣に出つと云ふ先代大次郞に至りて顯はる大次郞元と武川氏出て〻當家を嗣くに及ひ石材請負業を開始す由來膽大にして商機に通す劃策常に誤たす遂に全國斯界の重鎭として知られ衆望を負ふて衆議院議員に推され立法府に參す 君は其の長男にして明治十四年十二月十八日を以て生れ父の死亡に依り同四十三年五月家督を相續す父の遺業を襲きて克く之れを守り益々家名を發揚せり 家族は前記の外二男文雄(明四二、一生)三男三千雄(同四三、一二生)次女年子(大三、一生)あり 姉柳子(明一二、九生)は茨城石材合資會社代表社員熊本縣士族故水田玄二に嫁し弟法學士隆三(明一九、一生)は北海道小樽の名家金子元三郞の養子となり妹ふく子(同二三、一二生、三輪田高等女學校卒業)は東京府平民比留間凞長男橫濱市技師工學士敏に同快子(同二八、一二生、同校卒業)は同府平民綿絲商柿沼谷藏次男正治郞に嫁し弟鐵雄(明三一、一生、東京府立第一中學校在學)は前記武川家の養子たり | |
住所・電話番号 | 「本店」神奈川、足柄郡下岩村、 「東京支店」日本橋、濱町二ノ一七 電話浪花二七九五 | |
参照人物(親類) | 簑島吉平、金子元三郞、柿沼谷藏 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | つちや こうじ | |
別名 |