添田壽一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
| 位階・勲等・功級 | 從四位、勳二等 | |
|---|---|---|
| 爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
| 職業 | 法學搏士、東京商業會議所特別議員 | |
| 性別 | 男性 | |
| 生年月日 | 元治元年八月十五日 (1864) | |
| 親名・続柄 | 添田新三郞の三男 | |
| 家族 | 妻 ヒデ 明元、二生、東京府人原尚剛二女 男 定一 明二五、一〇生 女 英子 明二八、九生  | |
| 記述部分(略伝) | 君は福岡縣平民添田新三郞の三男にして元治元年八月十五日を以て生る夙に東京帝國大學文科大學を卒業して文學士の稱號を得直に大藏省に入り大藏主税局御用掛を命せらる後舊藩主黑田長成侯に從て英國に留學し同二十年歸朝して大藏主税官に任せられ同省參事官同大臣祕書官同書記官同監督局長を經て大藏次官に進み從四位に叙せらる同三十一年冠を掛けて臺灣銀行頭取となり同三十二年法學搏士の學位を受け後日本興業銀行總裁となりしか後之れを辭し尋て我實業家を代表して米國に渡り彼我親睦の衝に當れり曩に日露戰役の功に依り勳二等に叙せらる 家族は前記の外四女シゲ(明三五、四生)あり 長女いち(同二二、七生)は千葉縣平民五十嵐敬止の養女となり二女ひさ子(同二四、九生)は神奈川縣平民石塚八郞右衞門二男瀧三に養女かね(同六、一生)は臺灣銀行頭取柳生一義に嫁せり  | |
| 住所・電話番号 | 東京、麴町、富士見町一ノ一 電話番町三六六 | |
| 参照人物(親類) | 柳生一義 | |
| 参照次数 | 1 (※なし1) | |
| 読み | そえだ じゅいち | |
| 別名 | ||