瀧定助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 愛知縣平民 | |
職業 | 愛知縣多額納税者、株式會社名古屋銀行、株式會社名古屋貯蓄銀行、帝國撚糸織物株式會社各專務取締役、名古屋製織合資會社、合名會社瀧定殖産會社各業務擔富社員、東海倉庫株式會社、岐阜絹織物株式會社、福壽生命保險株式會社、福壽火災保險株式會社各取締役、株式會社知多銀行、株式會社知多貯蓄銀行各相談役、名古屋商業會議所議員、呉服商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年一月十五日 (1869) | |
親名・続柄 | 瀧定助の長男 | |
家族 | 祖母 よな 文政九、九生 母 ゆう 嘉永六、一二生、愛知、平、墨卯兵衞長女 妻 貞 明一四、五生、滋賀、平、小林吟右衞門二女 妹 ひさ 明七、一〇生 弟 六郞 明二〇、七生 弟 義郞 明二二、三生 妹 しげ 明二三、一一生 | |
記述部分(略伝) | 君は愛知縣平民先代瀧定助の長男にして小出庄兵衞は君の弟なり明治二年一月十五日を以て生る初め正太郞と呼び同三十六年十一月家督を相續し先代の名を襲く瀧定商店と稱し呉服商を營み縣下の多額納税者にして現時直接國税四千八十餘圓を納む曾て製絲直輸出の目的を以て合資會社三龍社を創立し直繰器械を設備し其製品頗る好評を博せり叉同志の貯蓄を目的として和樂會を起し其幹事として好成績を擧げたることあり方今前揭諸會社の重役を勤め素封家として實業界に重望あり 弟廣三郞(明九、三生)は分家し妹りう(同一三、九生)は神奈川縣平民小野光景長男寬に嫁せり | |
住所・電話番号 | 名古屋、西、東萬町三八 電話七二〇 | |
参照人物(親類) | 小野光景、小林吟右衞門、小出庄兵衞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | たき さだすけ | |
別名 |