竹内惟治 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三十年十一月二十七日 (1897) | |
親名・続柄 | 竹内維忠の長男 | |
家族 | 母 絢子 明五、四生、久邇宮朝彦親王第四女 叔父 茂 明一六、一生 叔父妻 文子 明二二、一生、叔父茂妻、男爵今園國貞妹 弟 惟斌 明三三、九生 | |
記述部分(略伝) | 當家は鎭守府將軍經基の裔甲斐守義光の次男從五位相業の二子駿河守義信の後なり夫れより十數世を經て季治に至り將軍德川綱吉の傳奏に依り堂上の列に加へられ竹内を姓とす數世の後子爵維忠に至る維忠貴族院議員に當選すること三回從三位勳四等に陞る 君は其長男にして男爵藤堂憲丸の甥なり明治三十年十一月二十七日を以て生れ同四十年十二月家督を相續し襲爵仰付らる 家族は前記の外妹千代子(同三七、四生)あり 伯母田鶴子(同三、一一生)は公爵島津忠濟に叔母宇多子(同一二、二生)は男爵本堂親雄に同ハルコ(同一八、九生)は石川縣平民岡川慶圓に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、中野町大塲一六四二 | |
参照人物(親類) | 久邇宮家、公爵島津忠濟、男爵今園國貞、男爵本堂親雄、男爵藤堂憲丸 | |
参照次数 | 6 (※なし6) | |
読み | たけうち これはる | |
別名 |