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竹内綱 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄東京府平民
職業株式會社東京榮銀行取締役會長、竹内鑛業株式會社、朝鮮水産株式會社、常總鐵道株式會社各取締役
性別男性
生年月日天保十年十二月二十六日 (1840)
親名・続柄 竹内吉管の長男
家族妻 きね 元治元、四生、福井、士、毛受洪長女
男 廣 明二一、八生
記述部分(略伝)君は舊高知藩士竹内吉管の長男にして天保十年十二月二十六日を以て生る幕末鎖港攘夷の説海内に沸騰するや君衆に雷同せず夙に開港の議を唱ふ明治の初大阪に出て外國貿易に從事し大損耗を被る偶官札と藩札との價格差異を生せるの機に乘し一擧數萬圓を利し曩日の失敗を償へり明治三年仕官して大阪府典事となり後西南の役に際し企圖する所あり事露はれて囹圄の身となり出獄後自由黨の組織に盡瘁せり同二十三年國會開設に際し高知縣下より推擧せられて衆議院議員となり後身を實業界に投し再ひ選出せられしも第十二議會解散後之を罷め方今前記會社重役の任に在り
六女榮(明一六、一二生)は東京府士族中田薰に七女トモ(同一八、一一生)は石川縣平民廣根市郞平に嫁し四男明太郞(萬延元、二生)は東京府士族竹内吉管の跡を嗣けり
住所・電話番号東京、麻布、笄町一四二 電話芝一七〇一
参照人物(親類)竹内明太郞中田薰
参照次数2 (※なし2)
読みたけのうち つな
別名
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