武田千代三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 福岡縣平民 | |
職業 | 神宮皇學館長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年四月二十四日 (1867) | |
親名・続柄 | 武田道夫の二男 | |
家族 | 父 道夫 天保一二、一生、現戸主 妻 ハマ 明七、一一生、東京、士、丹波敦四女 男 道千代 明二五、一〇生、青森中學校出身 男 春千代 明二七、一〇生、青森中學校出身 女 トミ 明二九、四生、お茶水高等女學校出身 兄 友之助 安政六、一生、東洋捕鯨株式會社庶務係 甥 道晴 明一七、一生、兄友之助長男、東京電燈株式會社員 甥 靖夫 明一九、一一生、兄友之助二男、東京電燈株式會社員 甥 三郞 明二八、八生、兄友之助三男 姪 昌 明二四、九生、兄友之助三女、小學校訓導 姪 キク 明二六、一〇生、兄友之助四女、小學校訓導 姪 靜江 明三二、八生、兄友之助五女 | |
記述部分(略伝) | 君は福岡縣平民武田道夫の二男にして慶應三年四月二十四日を以て生る明治二十二年帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得直に法制局雇となり同二十四年法制局參事官に任し爾來廣島縣參事官長野縣警部長群馬兵庫各縣書記官に歷任し同三十二年秋田縣知事に榮進し尋て山口山梨各縣に知事として治績見るへきものあり同四十一年青森縣知事に轉し後職を辭せり現時神宮皇學館長たり 家族は尚姪カメ(明三四、五生、兄友之助六女)甥友淳(同三六、一〇生、同五男)姪フジ(同三八、五生、同七女)甥武夫(同四〇、三生、同六男)姪八千代(同四一、九生、同八女)あり | |
住所・電話番号 | 宇治山田、河崎一六五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たけだ ちよさぶろう | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]