武富時敏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 佐賀縣士族 | |
職業 | 遞信大臣、衆議院議員(佐賀縣郡部選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政二年十二月九日 (1856) | |
親名・続柄 | 武富良橘の長男 | |
家族 | 母 ケイ 天保八、一生、佐賀、士、大野五郞左衞門長女 妻 ヌイ 慶應二、一〇生、佐賀、士、石井忠躬長女 男 敏彦 明一七、一二生、法學士、外交官補(墨國在勤) 婦 功 明二六、一二生、長男敏彦妻、山形、平、安達峰一郞長女 男 政彦 明二二、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は佐賀縣士族武富良橘の長男にして安政二年十二月九日を以て生れ明治十六年五月家督を相續▲幼にして武富北南に就て漢學を學ひ後東都に出て英學を修む明治七年江藤の亂に與して一方の要衝に當り亂平くるの後閉居して交友を絶ち學ふこと三年同十一年縣下の同志と相謀り學塾を起し子弟を訓導す同十四年政黨起るや改進主義を執る爾後縣會議員同常置委員同副議長に擧けられ又郡長農商務省商工局長同商務局長大藏省參事官内閣書記官長等に任せらる衆議院議員に當選すること十回大正三年四月大隈内閣成るに及ひ君亦之に列して遞信大臣たり 長女ノブ(明二〇、二生)は福島縣士族園部收一弟泰治に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、市ケ谷加賀町二ノ一三 電話番町二六九六 | |
参照人物(親類) | 安達峰一郞 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | たけとみ ときとし | |
別名 |