高田愼藏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 合資會社高田商會社長、輸出入銃砲彈藥諸機械販賣商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年二月二日 (1852) | |
親名・続柄 | 高田六郞の長男 | |
家族 | 妻 たみ 嘉永六、九生、東京、平、池田秀松姉 男 邦三郞 明一一、二生 男 軍三 明二七、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は佐渡相川の人高田六郞の長男にして嘉永五年二月二日を以て生る少時佐渡夷港運上所に勤め外務下調通辯見習となり英語を研習し明治三年上京して築地居留地英人某の店番となり辛酸を嘗む後ち英人ベア氏の店員となり各官衙其他の注文請負等凡て店主に代りて處理し大に經驗を積めり同十三年同店主ベア氏廢業の後を繼きて業務に精勵し同二十年商况視察の爲め歐米諸國を巡回し翌二十一年歸朝して高田商會を設立し直輸出入及諸機械等の販賣を營み豪商として知らる同四十年日露事件の功に依り勳三等に叙せらる 長女まつ(明一五、九生)は分家して東京府平民大野德兵衞二男信次郞を迎へ二女雪(同一八、二生)も亦分家して同府平民田中平八弟釜吉を迎へ四女喜代(同二四、四生)も亦分家して同府平民吉村甚兵衞弟綠同(一一、一一生、東京高等商業學校出身)を迎へ三女きく(同二一、三生)は同府平民池田倉藏の死跡を相續せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、湯島三組町五八 電話下谷一二二七 | |
参照人物(親類) | 高田邦三郞、高田信次郞、高田釜吉、吉村甚兵衞、※吉村佐平、※籾山半三郞 | |
参照次数 | 6 (※なし4) | |
読み | たかだ しんぞう | |
別名 |