高橋光威 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 衆議院議員(新潟縣郡部選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年十二月十九日 (1868) | |
親名・続柄 | 高橋幾右衞門の四男 | |
家族 | 妻 キクヨ 明八、一〇生、山口、士、赤川▲助養子 男 宣光 明三八、二生 女 福子 明二九、七生 女 博子 明三二、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民高橋幾右衞門の四男にして慶應三年十二月十九日を以て生れ明治二十三年四月分れて一家を創立す同二十六年首席を以て慶應義塾を卒業同三十二年農商務省より歐米の商工業調査を囑託せられて渡航し歸朝後筆を福岡日々新聞大阪新報に執れり後原敬の内務大臣となるや入りて其祕書官となること二回從五位に叙せらる同四十一年鄕里新潟縣より推されて衆議院議員となり現時其任に在り立憲政友會に屬す又曾て蓬萊生命保險相互會社の創設と共に擧げられて其取締役となりしことあり 家族は前記の外三男邦光(明四〇、二生)三女御慶(同三四、四生)四男敬光(同四三、三生)四女幸子(大元、八生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、内山下町一ノ一 電話新橋九八九 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たかはし みつたけ | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]