立川勇次郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 養老鐵道株式會社取締役社長、大阪電氣株式會社、揖斐川電力株式會社各取締役、東京電氣株式會社監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年二月二十日 (1862) | |
親名・続柄 | 清水常右衞門の二男 | |
家族 | 男 龍 明一五、一二生、法學士、東京電氣株式會社營業部員 婦 香 明二三、一一生、長男龍妻、東京、平、笠井愛次郞二女 男 廣 明一八、一生、商學士、東京電氣株式會社營業部員 | |
記述部分(略伝) | 君は舊美濃國大垣藩士清水常右衞門の二男にして文久二年二月二十日を以て生れ明治十年四月立川ことの養子となり同年八月家督を相續す夙に法律學を研修して久しく辯護士たりしか同二十二年感ずる處あり實業界に入り東京市内に電氣鐵道布設を出願して許されす去つて筑前の炭礦事業に從事せり同二十九年大師電氣會社を起して其社長となる今の京濱電車是れなり同年東京電力會社の取締役となり其他社と合併して東京市街鐵道會社となるや大師電鐵の社長を辭し市街鐵道の專務取締役の職に就き事業の發展を圖りしか偶々賃錢値上問題の起るや主張容れられす斷然職を辭せり先是白熱電球の製造に從事し同四十三年米國ゼネラル電氣會社と共同して器械製造を營み次て東京電氣會社を興し現に同社監査役たり尚傍ら前記諸會社の重役を兼ぬ 家族は前記の外孫龍郞(明四五、一生、長男龍長男)同智惠子(大二、一〇生、同長女)あり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山高樹町八 電話芝三二二 | |
参照人物(親類) | 笠井愛次郞 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | たちかわ ゆうじろう | |
別名 |