笠井愛次郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 養老鐵道株式會社、揖斐川電力株式會社、常總鐵道株式會社各取締役、多摩鐵道株式會社相談役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政四年六月十六日 (1857) | |
親名・続柄 | 笠井大五郞の二男 | |
家族 | 母 〓う 天保七、五生、岐阜、平、林安右衛門長女 妻 むめの 元治元、五生、德島、平、妹尾圓次郞姉 男 勝勇 明一九、九生 女 治 明三〇、六生 | |
記述部分(略伝) | 君は安政四年六月十六日を以て生る父を大五郞と云ひ君は其二男なり明治十五年工學寮を卒業して工學士の稱號を得翌年德島縣に出仕し南海四縣國道貫通の工事を擔當し其効を奏す海軍省鎭守府を佐世保及呉に創設せんとするに當り擢てられて其工事の擔任をなす偶々九州鐵道會社に聘せられて創立百般の事を處理す後日本土木會社に入り大阪支店長となる二十五年染工場を小石川に設け染物業に從事す同年朝鮮を經て西比利亞を親察して歸朝の後〓心意匠を凝らし一種獨特の染物法を發明す二十七年セメント會社を創立し其社長となり此年日本護謨製造法を發明す三十年三月鐵道學校を創立し其校長となり翌年鐵道協會を設立し其理事に擧けらる現時前記諸會社の重役たり 家族は尚二男保(明三四、八生)あり 養子ハナ(同一六、一生、東京府人佐藤義方四女)は東京府人石川文吾に二女香(同二三、一〇生)は東京府人立川勇次郞長男龍に三女君子(同二七、五生)は東京府人田原良純長男良鄕に養妹コヨシ(元治元、一〇生)は山口縣士族河上謹一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、小日向茗荷谷町八〇 電話番町一九〇 | |
参照人物(親類) | 石川文吾、田原良純、立川勇次郞、河上謹一 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | かさい あいじろう | |
別名 |