多久龍三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 男爵、佐賀縣華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三十四年九月四日 (1901) | |
親名・続柄 | 多久乾一郞の三男 | |
家族 | 母 チエ 慶應元、一一生、男爵伊丹春雄姉 姉 秀子 明三一、七生 | |
記述部分(略伝) | 當家は龍造寺の一族にして世々多久壹萬石を領す多久茂尚戊辰の役手兵を率ひて奥羽白川口に向ひ大に軍功あり其子乾一郞夙に米國に遊學し明治九年歸朝同十六年内務省に出仕し同二十一年式部官となり同三十年華族に列し男爵を授けらる 君は其三男にして同三十四年九月四日を以て生れ同年十一月家督を相續し襲爵仰付らる 姉タカ(明一五、五生)は神奈川縣人梅原修平二男逸太郞に嫁し同ミツ(同一九、四生)は男爵鍋島英昌長男綱麿に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山南町五ノ六一 電話芝五〇一六 | |
参照人物(親類) | 男爵伊丹春雄、男爵鍋島英昌、梅原逸太郞、※伊丹二郞 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | たく りゅうさぶろう | |
別名 |