市川廣助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳三等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 京都府士族 | |
職業 | 豫備陸軍軍醫監 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年十一月十四日 (1863) | |
親名・続柄 | 市川達三郞の長男 | |
家族 | 妻 しず 明四、三生、三重、平、靜岡敏弼姉 養子 二郞 明二六、四生、東京、士、市川清次郞二男 女 愛子 明二八、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は三重縣士族亡市川達三郞の長男にして文久二年十一月十四日を以て生れ明治三十三年三月家督を相續す夙に軍籍に身を委ね同十六年十二月陸軍軍醫講習生となり同十八年一月陸軍三等軍醫に任せられ爾來累進して同四十一年十二月▲軍軍醫監に昇り同時に豫備仰付らる其間參謀本部御用掛金澤衞戍病院長第九師團軍醫部長臺灣陸軍軍醫部長等に歷補し又日清日露の兩戰役に際し功により勳三等に叙▲功四級金鵄勳章▲賜はる 家族は尚三女のふ(明三四、四生)あり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、一條新町西入 | |
参照人物(親類) | 市川清次郞 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | いちかわ ひろすけ | |
別名 |