片岡直温 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從七位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 高知縣平民 | |
職業 | 衆議院議員(高知縣郡部選出)、日本生命保險株式會社長、京津電氣軌道株式會社監査役、豊國火災保險株式會社、日本傷害保險株式會社各相談役、伏見商業會議所特別議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政六年九月十八日 (1859) | |
親名・続柄 | 片岡孫五郞の二男 | |
家族 | 妻 祝 慶應元、五生、高知、士、松原住友二女 養子 安 明九、六生、長女盈衛夫、北海道人細野直重男 女 盈衛 明一四、一〇生、養子安妻 | |
記述部分(略伝) | 君は高知縣士族片岡孫五郞の二男にして片岡直輝の弟なり安政六年九月十八日を以て生れ明治三十二年二月分家して一家を創む幼時家貧にして古着行商を爲し筆墨の資を得近邑の私塾に入りて英漢學を修め更に高知陶冶學校に入り卒業後教鞭を執ること多年尋て内務省に出仕し明治十七年滋賀縣に轉し累進して警部長に任し從七位に叙す掛冠後二十五年高知縣より推されて衆議院議員となり辭して後日本生命保險株式會社副社長となり翌年日本海陸保險株式會社を創立し推されて其社長となり尚數種會社の重役として關西實業家中の雄を以て稱せられしも後感する處あり之を辭して方今日本生命保險株式會社々長其他前記會社の重役として專心事業の發展に務む曩に高知縣郡部より選はれて再ひ衆議院議員に擧けられ現に其任に在り 家族は前記の外孫銓太郞(明三三、二生、養子安長男)同喜代子(同三六、二生、同長女)同登代子(同四四、一生、同二女)同彰(大二、二生、同二男)あり 二女申代(同一七、一生)は福岡縣士族久世庸夫に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、河原町荒神口北入西入 電話上七五六 | |
参照人物(親類) | 片岡直輝、久世庸夫 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | かたおか なおはる | |
別名 |